2007/11/19-11/25 「静物」 PLACE M

東京で生まれ、25年生きて、都市の優しさを言うとしたら、
他者と共に生きるということを前提に、
他者を他者のままに受け入れることと思う。
街を行き交う無表情の私には静物にみえる人々を、
日々愛惜しく思う。

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展示を振り返ってのエッセイ

街中で人を撮影するにあたり、他の人と差別化をどうするかと考えながら取組んだ作品。 元々発表をする気はなかったのだけれど、お世話になった人が東京を離れると言うので、一回は展示を観て貰えたらとやることに。その時、ワークショップの講師に、これでやるのは構わないけど、アドバイスは一切出来ないと言われ、逆にこちら側もその講師とは合わないと常々思っていたので、むしろそちらの方がありがたいです、と、全部自分で決めてやった展示。それ以来その講師とは顔も見たくないので、オープニング等に居合わせた時点で、帰る様にしている。 67(4段)と35(5段)を混在し、枠と言うものを意識させず混沌とした印象にしようとして、展示風景を撮らして欲しいと言うお客さんが何人かいた。

2008/9/8-9/18 「静物」 ギャラリー蒼穹舎

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展示を振り返ってのエッセイ

最初の展示とは逆で、 とりあえず人に任せてみようと、 展示方法と枚数は決めて、 セレクトや並べは極力人の意見を聞いてやった。 あとは前回が大きいサイズを多量に焼いたので、 小さくても成立できるかと極端に小さく少ない数にした。 自分が選ばないようなものも展示し、 あとになってから展示してよかったと、 気づくカットも多く、 自分の意見というものは当てにならない部分も多いのだなと。 分かりづらい展示の中、 後々よかったと褒めてくれる人も多く、 東京では結果として人の意見を聞いたのはこの展示ぐらいで、 以降は殆ど発表まで人の意見を聞かないで決めることとなった。

2009/3/30-4/11 「えまのん」 nagune

祖母の一周忌供養にと
祖母のポートレイト、祖母から貰ったカメラでの作品
そして展示時点での新作で構成した作品
3階建ての建物だったので
階数ごとに内容を分けて展示

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展示を振り返ってのエッセイ

この展示では祖母のポートレイトが評判がよかった。 それは何も写真の知り合いに限らず、 職場の人、美容室で髪を切ってくれていた人、 友人等、展示が終わってからもDMを飾ってくれたりと、 祖母の供養としては一番ありがたい結果となったのではと。 自分としてはDMではない方の祖母の写真が気に入っていたのだけれど。 また他の階の評判はそこまでよくなく、 特に2階は展示方法から内容から色々言われた。 ただそれも色々ごちゃごちゃ工夫する1階、2階より、 結局はストレートなポートレイトが良いでしょという、 当初の意図どおりではあったわけでなんとも複雑で。 まぁなんにせよ、 供養が出来たことが嬉しかった。

2010/2/2-2/14 「壁虎」 TAP gallery

都内某所の壁に、
写真を貼っていた時期があった
雨風にさらされ、色は変色し
今となっては、その場所にいっても、
もう何も無い状態に
知り合い数人しか教えていなかったし
自分の記憶の中でもだいぶ曖昧な感じに
何年かの歳月の中で、
その写真ともう一度向き合ってみようと思い
印画紙に焼き付けギャラリーの壁に飾る。
実質、一ヶ月壁に張り付いていた、19匹の壁虎

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展示を振り返ってのエッセイ

知り合いに見せようと、西麻布近くの壁面に勝手に張っていた作品を焼直したもの。当初は静物というタイトルを予定したものの、さすがに自分でもまだ違和感があり、壁を使った言葉がないかと辞書で探していたらヤモリとあったので使った。ただ、意味は‘ヤモリ’なのだけど、本当の読みは‘ヘキコ’。ギャラリーの空間にはこの位のサイズが丁度良いだろうと小全の額を縦使いで使用し、実際他の人もこのマットを良く使っている。ギャラリーを始めるに当たってのスタンダードな展示を心掛けた。ただ、今振り替えると冒険的な要素はさしてなかったかなと。

2010/6/22-7/4 「BABEL/FAMILIA」 TAP gallery

現実には届かない記録と
近付けど似て非なるもの
BABEL/FAMILIA

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展示を振り返ってのエッセイ

ギャラリーを始めた中で、やりたいことは全てやってみようと、コンセプチュアルなものを自分がやるとしたら、と、想定して行った展示。 写真は現実を媒介にするも、現実ではなく、物質としての印画であることが主であると言うスタンスを表そうと、一旦焼いた横位置の作品を中判カメラで縦位置に切り取り、現実と写真とのズレを全面に出した。大概の人は肯定的に見る中で、一人の知り合いと、そのギャラリー関係者にはすこぶる評判が悪かった様。そしてこの展示をきっかけに、今まで撮影した未発表のを含め展示では使わないことを決め、以降は全部新作しかださない様に決めた。

2010/9/14-9/26 「静物」 TAP gallery

故郷としての都市をと思った時
人に目が向きました
他人として共に生きる人々は
親しみがなく
かといって
暖かみがない訳ではなく
‘静物’が一番近いと
私は思うのです

展示を振り返ってのエッセイ

それまで正面より街ゆく人のポートレートを声をかけず撮影していたけれど、正面ではなくとも横からのも選び、また、シンメトリーにはならないよう心掛けた。 来場者の反応は良く、けれどこのまま中判のイメージで固めても良くないと、展示中にこの静物のシリーズはやめようときめた(その後、三人展の時にカラーで一回だけやった)

2011/3/8-3/20 「3月」 TAP gallery

取り壊す家の撮影以来をきっかけに、
その家と自分の家を撮影し、
そのことに何の意味があるというわけではないけれど。
記録と言うよりは、
被写体にひかれたというほうが近いような。
細部と言うよりはものの配置と言うものが、
自分がすごしたと言う実感をもたらし、
そしていつかはその変化に携われなくなるのではと、
これから先のことを思う。

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展示を振り返ってのエッセイ

搬入をした時に、自分の中での驚きと感慨があったのは後にも先にもこの展示が一番強く、自分としては家の中で街中と同じ様にスナップを撮影したという感じだった。そして大きな転換期、何をどこで撮影しようとも、自分の作品としての核は保てるとの確信にも繋った展示だった。 展示を観に来た人の反応は一部を覗き、すこぶる悪く、そう言った意見を相手にする必要がないなと確信したのもこの展示からだった。 311の地震が運悪く重なり、来場者も極端に少なかった。 ただ、未だにこの展示の感慨を超えるものはない。

2011/8/9-8/21 「drypoint」 TAP gallery

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タイトルは元々響きだけの、
自分で作った造語のつもりで、
けれど実際には版画の技法であるらしく、
版を重ねる度に微妙にグラデーション等、
風合いが変わり、変わらず残るのはその線だけだとか。
今年の四月位に聞いた話。
版画において当てはまるのかは分からないけれど、
こと自分の写真においては、客観や記録としての面が線として残り、
階調がその時の気分や自己を表している様な。
所詮は言葉なのだから、そう捉えることに意味はないと思う。
意味はないのだけれど、記録は記録として、自分は自分として。

展示を振り返ってのエッセイ

急遽展示をすることとなり、それまでに比べると極端に少ない本数での展示だった。 意図としては、人も動物、植物や無機物も、写真の前では等価であるという考えを元に、静物と同等のスタンスで、被写体に人以外のものを積極的に入れることを心掛けた。 反応としては、肯定する人、否定する人とが真っ二つに分かれ、そう言う反応が望ましいと思っていたので、中々満足の行く展示だったと思っていて、半数のプリントが行方不明となり、自分でも観ることはもう出来ないのだけれど、色褪せることはないかと。

2012/3/20-4/1 「from the east,to the side of west」 TAP gallery

東京から西脇、
距離にして700Km弱、
時間にして一日(ひとひ)。
4年の猶予を持ちつつも、もう2年が経った。
移住を決めてから2年。
現地を改めて見ておこうと、もう一度行くのに2年。
これだけの時間がかかったのも、
これから時間が掛かるのも、
一言には言い表せない、色々なことがあって。
ただ、それを言い訳にしてはいけないのだけは確かで。
西脇が地元に、東京を故郷に。
そうなるにはまだまだ時間がかかるけれど、
一旦その尺度を実際の距離に置き換える為の、
その為の旅、の、記録。

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展示を振り返ってのエッセイ

西脇に移住すると言う割に、中々具体的な行動を起こせずにいた中で、‘西脇に行く気はもうないんでしょ?’と複数人に言われたのに対し危機感を持ち、撮影旅行から搬入までを二十日間で行った作品。家に残っている複数種類の印画紙を全て使おうと、土地ごとに印画紙をかえ、展示数が多かったので、大阪と名古屋をの印画紙のうち二点の角を釘打ちせず、クルクル丸まらすことによって、電話帳をずっとみている様なただ数が多い感じにしない様にした。逆にあすこがあったからこそ、最初の変色した印画紙に文句を言う人もいなかった様な。 もう少し数を絞るべきではと言った意見があったり、それはそれで、もっともだと思うけれど、数を少なくすることにより変にモンタージュ的なイメージを作ることをきらい、絞ることは極力せず、焼いた作品の8割は展示した。搬入には10時間近くかかったものの、これが出来るのならば、展示は如何なる条件でも出来るんじゃないかなと、楽観的に思える様になった、そんな展示。

2012/7/24-8/5 「S35.68/E139.79」 TAP gallery

ギャラリー周辺の清澄白河を撮影したもの
タイトルはギャラリーの経度緯度
北緯と南緯を間違えているので
正しくは"N35.68/E139.79”
展示に習いタイトルはそのままにしています

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展示を振り返ってのエッセイ

西脇に移るにあたり、一回くらいはギャラリーのある清澄白河周辺だけで構成した作品をと思って行った展示。 ハーフサイズを四切りサイズにまで伸ばしたので、粒子を綺麗に出そうと注意しながらプリントした。夏休みの自由研究という企画の関連で、感想と、どれが良いかを選んで貰い、選ばれた作品が予想と大きく違ったのはやってるこちらとしても新鮮だった。

2012/11/13-11/25 「drypoint」 TAP gallery

色や諧調に目を奪われることはあれど
常に自分が視ているのは輪郭
シルエットの重なり方なのだと思う

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展示を振り返ってのエッセイ

ギャラリーを運営する中で、時間を中々掛けれずにいた為、やめる前に一度くらいはと一年間かけて撮影しようとした作品。毎回、失敗しそうな要素を入れ込もうとした中で、キャビネのピン張りでの展示方と、カラーとモノクロが混在させようとやってみた所、余りに綺麗に馴染んでしまったことが、逆に不満として残った。 来場者の反応は良く、特にカラー作品に対する反応が良かった。あとは知り合いに静物のイメージを引きずられていたので、それを払拭出来たのは良かったのかと。自分の小器用さに嫌気がさす点も多かったながら、とりあえずは腐らず前向きにやろうと思った展示。

2013/3/19-3/31 「drypoint」 TAP gallery

異なる価値が、
交わるのだとすれば、
小さくは自分の過去と現在、
広がれば、人と人、土地と土地とが。
drypointのシリーズでは、
交差する点を、
自らの作品の中に探していて、
なかったものを求めると同時に、
変わらない部分も残る様にと、
制作しているつもりで。
一方の肯定が、
もう一方の否定であってはならず、
過去の否定が、
現在の肯定になり得るはずもなく。
叶うなら双方を肯定出来るように。

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展示を振り返ってのエッセイ

展示方法をあれこれやっている傾向をうけて、最後に一度はスタンダードなやり方をやろうと行った展示。DMの写真は早めに決めた上で、いつものには混ざらないこの写真をどう混ぜたら良いかに注意しながらやっていった。 人によっては、王道的なスナップになっているとか、カラーの方が良いとかも言われたけれど、現状でのストレートな内容は出せたかと言うのと、相変わらず小器用に破綻しない不満とがあった。

2013/3/19-3/31 「子午線」
third district gallery

写真行為において、
恐らく自分は常に一観客で、
それは撮影においてもそうで、
全ての事象を作品と仮定したとき、
惹かれたもの(作品)を記録するわけで、
だから人の展示を見るのも、
自分で撮影することも、
さして大きな差などないのかと思う。
ただ、自分なりに作品の選択を、
また、その作品が映える位置なり方法を探すわけで、
そこに固有の視点があるとしたら、
それが個性なり立ち位置だと思うし、
それゆえ淡々と撮影をしている。

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展示を振り返ってのエッセイ

ずっと自分の場所で展示をして来た中で、
実に四年ぶりに人の場所でやったのもあって、
並んだ作品に対し、
やらして貰ったギャラリーの立場を意識して、
逆にどうなのか自分で良く分からない部分が強かった。
振り返りみれば、
落とし所としては、
適切だったのだろうと思うのは、
終わってからも、
見た知り合いからの反応が良かったことと、
あとはギャラリーの人の反応が良かった所から。
印象深かったのは、
物足りなさを含めて良いと先輩に言われたことで、
正直言えば物足りなさは自分のなかにもあったからで、
ベストは尽くせたとは思うし、
直すところもこれと言って今なをないけれど、
既に撮ったものを使った中で、
幅は広がりを持ったとしても、
先には進めなかったと思うからで、
おこがましく反感を恐れず言えば、
完璧ではあっても、
最高ではなかった。
諸々含め、
いい経験をさせて貰った展示だった。

2013/12/17-12/29 「から、ひとひ」
TAP Gallery

何もなかったように、
一時(いっとき)の再現と、
客観と、
傍観の流れへと、
自分なり、作品を。
手から離れること、
意図が届かなくなること。
作り手の色が消え、
記録に帰すること。
作り手は、
一時、関わっていただけのこと。
不意にまた見る機会があればと。
それ迄。
から、ひとひ。

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展示を振り返ってのエッセイ

展示の準備をしている段階で、
知り合いに頼まれ焼いていた、
昔の写真が非常に魅力的で、
撮影者の手を離れ、
写真が写真として、
いい意味で一人歩きしていると思った。
また、
自分の作品はそうなれるのかと言うのが、
展示を前にしてふと疑問に思ったことで、
元々今までの展示を極力全て並べようと思ってはいたけれど、
在廊を一切やめたのは、
自分のいなくなった後を、
仮に作ってみたかったからで、
それは西脇に行った後というよりは、
なくなった後、
と言う思いで展示に向かった。
ただ、
当たり前の話だけれど、
在廊もしていないから、
反応も何も分からず。
展示が終わり年が明けた後、
ちらほらと感想を聞くこともあるけれど。
また、展示の前後で頼まれごとをすることがやたらとあり、
それはそれでありがたいことではあるのだけれど、
その分自分のやりたいことに割く時間がなくなっていく感じがした。
完全なる自由というものは、
全ての関係の放棄であり、
即ち孤独かと。
ともすれば自由であることは、
幸福かと言えば、寧ろ不幸だとは思うのだけれど、
それでも今は徹底した自由を求めたく思った。
不幸であっても、
そこは問題ではなかろうと。
一人で出来ることはわずかで、
悲しくなるぐらい僅かではあるけれど、
あくまで一人の可能性を追及したい。
一人になりたい。
今抱えていることにけりをつけれたら、
とりあえず一人になろうと。
それが一応の東京にいる間での結論となった。